ひきこもりのもの

ひきこもりの日記。ひきこもりが考えたり考えなかったり。

1月21日

1月21日は「ライバルが手を結ぶ日」です。

 

土曜日から気持ちが落ち込んでいて、昨日が最も谷の日でした(たぶん)。

今日も一日中家にいました。

起きたのは13時ごろでした。

起きたはいいものの、あまり食欲がありません。

お腹は空いている感じなのですが。

胃の調子が悪いのかもしれません。

 

ここ数日は親と一言も会話をしていなかったので、親も心配だったみたいです。

悪いことをしました。

 

もう何もしたくないという気持ちが強くありました。

何もかもがどうでもいい。

居なくなってしまいたい。

こういう時、逃げ道としての死というものを考えるのですが、自殺は怖いです。

自分が居なくなるという恐怖はあります。

自分の体を傷つけるのも痛そうでとてもできないでしょう。

ひきこもり全体でいうと自殺の心配は殆ど無いということがこの前読んだ本に書いてありました。

しかし思うのはひきこもりが長期化して孤立し、衰弱死する事例があるということ。

これは緩やかな自殺ではないかと思うのです。

積極的な生を選べず、積極的な死も選べない。

ただただ自らの精神を殺し、ゆっくりと削られて死んでいく。

それはとてつもなく苦しいことなのだと思います。

自分にもこういう未来が待っている気がしてなりません。

頭の中のどこかの部分でそういう未来を望んでいる感じさえあるのです。

他人と関わってもうこれ以上傷つきたくないと。

思えば幼い頃からどこか上手く生きられない、どこか周りとずれているという確信を持って生きてきたような気がします。

子供の頃から将来まともに働けないだろう、人並みの人生は歩めないだろうという感覚がどこか頭の片隅にありました。

それが大人になった今、現実となってしまいました。

前向きに生きようと思うこともあります。

しかし生まれ持った性質というものは中々変えられないのだと実感しています。

今はとにかく心が平穏でありたいと願うばかりです。