ひきこもりのもの

ひきこもりの日記。ひきこもりが考えたり考えなかったり。

2月1日

2月1日は重ね正月です。

 

今日は一日外に出ないで過ごしました。

メンタルも特に問題ない感じです。

朝目覚めた時の動悸はまだだいぶありますが、日中は収まっていました。

ただ睡眠の質があまり良くないのか、睡眠時間は十分なのにやたらと眠いです。

 

最近ネット上で「理解のある彼くん」という言葉を目にしました。

発達障害精神障害など、生きづらさを抱える女性のエピソードなどに突然出てくる「私を支えてくれた理解のある男性」の事を指す言葉らしいです。

以前生きづらい系のコミックエッセイやネット上での体験記などを読んだ時にそういう存在が出て来て、なんだか裏切られたような気持ちになった事を思い出しました。

結局の所、人と上手くやれているじゃないか。と。

こういうエピソードを読んだ多くの人の中であるあるだったみたいですね。

男性より女性の方に圧倒的に多く理解者が現れる(ように見える)ため、「理解のある彼くん」という名前がやや揶揄される形で流行っているようです。

実際の所、女性の方がそういう理解者が現れる可能性が高い気がします。

ひきこもりでもそういう傾向があるらしいです。

この間読んだ「中高年ひきこもり」という本には「女性のひきこもりは結婚できる可能性があるが、男性のひきこもりにはそれはまず望めない」と言った主旨の事が書いてありました。

そもそもひきこもりの人たちは出会いの機会があまりありませんが、「男性のひきこもり支援者と女性のひきこもり」の恋愛や結婚はあっても、その逆は比較すらできないほどでしょう。

ひきこもり当事者の男性の身として、それは納得できます。

生きていく力が極端に低いのです。

精神的にも、体力的にも、経済的にも余裕がありません。経験も極端に少ない。

何故そうなったかは分かるような分からないような。

男性にしろ女性にしろパートナーがいる人は羨ましいとは思います。

ただ自分でもパートナーが本当に欲しいのかどうかよく分からなくなってきています。

人恋しいのは確かなのですが。

人と人との関係で悩んだりしたくない。というのが大きい気がします。

結局都合のいい人を望んでいるだけなのかもしれません。

歪んでいるな、と思います。

 

今日「理解のある彼くん」を扱った記事をネット上で目にしてこの文章を書いてみました。ちょっと脱線ぎみですが。

一つ言いたいのは女性の方が人生イージーとかずるいと言いたいわけではないという事です。

上手く言えませんが。

それぞれに大変なことがあり、それに優劣をつけようとするのは不毛な気がします。

とは言え、こういう言葉を聞く時、精神の弱い男性は誰にも必要とされないだろうな。と悲しくなってしまうことは事実です。

救いが欲しい。

ここで救いとは何かと考えてみると、考えられるのは

1.人と付き合っていく覚悟をする。

2.完全に諦める。

のどちらかを選ぶという事になるのかなと思います。

今が中途半端な状態だから苦しいのかと。

第3の選択肢もあるのかもしれませんが今は分かりません。

ではまた。